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維新の会 期待外れかも

 投稿者:  投稿日:2012年 2月 4日(土)14時57分28秒
  ペガサスさん

雑誌、新聞、さらにはテレビ局さえ暗雲が漂うご時勢です
人々は 多くの時間をパソコンでニュースを見たり フェースブックやツィッター、ミクシィで情報を得たり、やりとりしています。
これは時代の趨勢として誰も止められないでしょう
教育、情報手段は70年前と比べて格段に進化しています
日本の牽引車であったパナソニック ソニー シャープは大赤字です 日本の産業も否応無く構造転換するでしょう

政治システムのみが 議員主権のままです
十杷一からげの政策を掲げて「さあ、どの党にする?}
などという粗雑なシステムでは 投票のしようがありません

国民主権というなら 政策毎に国民の意思を聞く精緻なシステム スイス方式か参政員制度にならなければなりません

さて、維新の会 では各政治テーマごとの党のテーゼを作るようです
これでは第三極とはなっても 到底沈滞した政治の解決にならないと懸念しています

下のサイトのように国民の政治参加の道を創造すべきです
http://www3.plala.or.jp/seijian/seijiisin.html
 

維新の会への提言

 投稿者:  投稿日:2012年 2月 3日(金)11時16分58秒
  先日「維新の会へ謹呈」のサイトを作りました

http://www3.plala.or.jp/seijian/seijiisin.html

 それに関連したフェースブックでの議論を転載します


>手放しの絶賛は危ないと思う。



おっしゃる通りですね。いかに優れていたとしても個人の判断、価値観は彼の成育の経験の中で醸成されたものでしかありません。判断の正誤はコンピューターと同じくインプットされた情報量が問題です。
その意味で「デモクラシーの原点に戻ったアピールを」という忠告です。テーマ毎に大勢の国民が責任を持って判断し、最大多数の結論を出す事が大事でしょう。今の議会制民主主義は良く出来た制度ですが多少の問題があります。議員は次の選挙でも通ることが最大の関心事です。社会に評価してもらうことーーそのために行政との懇ろな関係を維持することが決め手になります。結果として役所は世話女房のような立場に立つのです。このために議会議員は役所の恣意的な情報をもとに動く。議員と役人の関係が同じであれば何度政権が変わっても大衆の利益の政治にはなりません。又議員に「自由委任」の制度では、例えば「自ら身を切る」と言っても、歳費を下げない事、国民投票を公約としていながら政権を取れば忘れた顔をする。選挙では「10束一からげ」の粗雑な公約を出して顧みない(国民投票でテーマ毎に国民の判断を求めるべき)など「議員主権」そのものです。
橋下氏が「世話女房と主権を持つ議員による政治」体制を脱却できなければ国民はまたまた失望することになるでしょう。シロアリ連中が彼をおだてるとまさに危険なことになるでしょう

 

松下潤治良さんへ

 投稿者:  投稿日:2012年 2月 1日(水)16時23分34秒
  松下潤治良さんへ

この掲示板への投稿につきまして
掲示板に最高投稿限度がありますので、近日整理させて頂きます
つきましては 貴殿のログは貴重ですから消えてしまうことは誠に残念です
是非ともヤフー掲示板やご自身のブログ等にご収納されるようお勧め致します
整理以降の著作権などにつきましては当掲示板の
規定の通りで、どちらにも請求ができなくなりますのでご了承ください

http://www3.plala.or.jp/seijian/seijiisin.html

 

【延岡市】平成24年を市長の「心」が生まれ変わる年に

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2012年 1月25日(水)19時19分38秒
  昨年暮発行のサンデー毎日(12月18日号)が、読売巨人軍の清武英利・GMと渡辺恒雄・球団会長の対立に関連して、「駄目な上司」の分類と 部下としての対応のあり方を記事にしている。
「1.暗い、威張る、ゴマする(性格の問題)  2.決断力、記憶力がない(能力の問題) 3.知っていて知らんぷり、情報隠し(倫理的な問題)。
 部下は、1.と2.は許すべき、 3.は許すべきではない。戦うべし」。

この分類で、首藤延岡市長が該当するのは、これまでの言動に照らして3.だろう。最新の実証事例を示す。
首藤市長は今年の「広報のべおか」新年号や新年集会での念頭挨拶の中で、「延岡市では、新市庁舎建設・駅前再開発・最終処分場など『大型事業』が目白押しだ」とPRしているが、「不都合な事実を知らんぷり」している。
延岡の最大の「大型事業」は、延岡市政上・最高の事業費(総額167億円)を投下して進行中の「岡富古川、多々良」両地区の一体的な区画整理事業である。
何故知らんぷりするのか。

延岡市の人口減少幅は県内市町村の中でダントツ。この5年間で4000人の市民が市外流出などで消えた。その延岡市が多々良の山々を削り、流域の岡富古川地区を全面的に盛土する大規模な区画整理事業を行う。50haの土地に、合計1240戸分の広大な住宅団地を造成中である。首藤市長が着工したこの事業は、時代錯誤も甚だしい無駄事業である。さらに問題がある。「岡富古川地区30haの盛土造成」は、地盤沈下や液状化、さらには滑動崩落の危険性さえある「地震・増災事業」でもある。東日本大震災で各地の盛土住宅地が液状化し、大惨事に至った事実は記憶に新しい。

首藤市長が新年挨拶の中で、「知らんふりしている不都合な事実」をもう一つ。
延岡市の最大の課題は「地域医療」の問題である。市長は平成21年の新年挨拶
(広報のべおか)で、「市町村初の『地域医療を守る条例』の制定のほか、医療シンポジュウムの開催など、本市の一連の施策は全国の注目を集めるまでになりました」と胸を張った。だが、3年経た現在、延岡市の「地域医療」は崩壊したままである。今年の新年号(いわき市と坂井市長の挨拶掲載)には「地域医療を守る条例」はもちろん「地域医療」と言う言葉さえない。 代わりに、「健康長寿対策」などの言葉を前面に出して市民の関心をそらす。

不都合な事実を隠そうとする『心』は、困難な事態から逃れようとする『心』や自分の事を優先する自己保身・自己利益の卑なる『心』と同根である。首藤市長は、眼前の「地域医療対策」を市民が病気しなくなれば医師不足問題は解消するとする「将来的」な「健康長寿対策」にすり替える。市長に近い内田市会議員はブログ(09.12.21)で「目の前で溺れかかっている人を救うのが政治ではない。溺れる人を作らないのが政治だ」と詭弁的な主張をする。困難な問題解決を将来的な課題にすり替え市民の関心を逸らすのも首藤市政の特徴である。

トップの知識不足や行政能力の不足は、有能な職員たちによって補う事ができる。しかし、「不都合な事実を隠し、困難を回避する」ような「倫理的な問題」、要するにトップの『心』の問題は職員によって補完する事はできない。
市長自身が己の問題点を自覚し自ら改めるしかない。そのためには、周囲がそのことを気付かせる事が必要である。延岡市は平成24年を、首藤市長の『心』が少しでもよりよき方向に生まれ変わるそのスタートの年とすべきである。
(平成24年1月)

 

延岡市の巨大市庁舎建設は災害をもたらす

 投稿者: 松下潤治良  投稿日:2011年12月31日(土)16時37分33秒
                                           延岡市の首藤正治市長は、「私は市民の皆さんと一緒に策定する『市民協働』を基本にしている」「市民ワークショップなどでの市民の声を踏まえながら、基本構想を策定する」と市民目線の市政運営を強調する。その具体的な行動として、「駅前周辺整備事業」では、再三「市民ワークショップ」を開催したほか、毎年、「市長と語ろう 『まちづくり懇談会』」を開き、市内10箇所ごとに100人の地区住民を集める。このほか、北方町などの旧町では、『こんにちは!市長です』と称する「移動市長室」に終日を費やす。さらに、ありとあらゆる集会に顔を出し市民と触れ合う。

首藤市長は、職員に「市民目線」を説き、「市民の痛み・悲しみ・苦しみを皮膚感覚で感じて欲しい」と訓示し、「市民の痛み・悲しみ・苦しみに共感し、それを施策決定の基にする」善政を言外に匂わせる。「私はいつも市民の皆さんと共にある」。しかし、選挙ありきの首藤市長の身体は市民と共にあるが、その『心』は市民と共にはない。『心』は「利害と共にする一部の市民」と共にある。  その事を明確に示したのが、首藤市長による「新市庁舎建設」の策定である。 この「新市庁舎建設」は、『市民の皆さんと共に施策を策定する』という言葉とは真逆に、利害を共有する一部の市民との間で「市民不在」のまま独裁的に決められた。立派な言葉とやる事の言動不一致が首藤市長の体質である。

延岡市の人口は激減している。県は11月17日、2010年10月1日に実施した国勢調査の結果を発表し、同時に5年前との人口増減を市町村ごとに発表した。延岡市の減少幅はダントツの1位だが、注目すべきは都市機能を有する
旧市の人口増減である。人口10万人以上の県内3大都市の旧市の中で、人口が減少しているのは延岡市だけである。旧宮崎市は6000人、旧都城市も1000人増えている中で、旧延岡市だけ2600人減少している。因みに、旧日向市も100人増加している。人口減少は都市の衰退を示す指標であり、延岡市の都市機能や活力の低下は明かである。

今後も急速に人口が減っていく衰退都市の延岡市が、現在の4階建ての2倍規模の地上8階、地下一階の県内随一の巨大な市役所を建立する。建替え理由は耐震性UPや津波対策。各階に「市民協働スペース」を設けるのだと言う。首藤市長は市内各所に20箇所「市民協働センター」や「市民協働コミニュティー」を建設しており、「市民協働」のオンパレードだ。県、宮崎市、都城市、そして日向市の庁舎も、同等、あるいはそれ以上の耐震性などの問題を抱えている。だからと言って巨額の税金を投じて建替える事はしない。人口激減の延岡市だけが、人口増を前提とするような巨大市役所を建設する。宮崎県全体の基礎自治体を俯瞰的に見てもアンバランスな修正を加えられるべき情景だろう。

最低水準の雇用率、崩壊したままの地域医療、老人保健施設への多くの待機者、寂れたままの中心街、高速時代に必至なストロー化現象。山積する課題への投資も必要である。そもそも、市役所の巨大建替えに消える合併特例債は吸収した北浦など旧3町の過疎対策として用立てられたものである。首藤正治市長は、延岡旧市や旧三町の住民たちの「痛み、悲しみ、苦しみ」とは無関係に、また、「市民の皆さんと一緒に策定する『市民協働』を基本している」と言う言葉とは裏腹に「利害を共にする設計・建築などのごく一部の市民」と共に市役所の建替えを決める。「税金の使い方」や「事業の優先順位の策定」に関しては市民が関わる事は許さない。これが首藤市長の「市民協働」の実態である。

延岡市は、市民の幸福や都市機能の向上にも寄与せず、優先度も低い市役所の建替事業に75億円の巨額の税金を投下する。その決定経緯について、市長は口を閉ざしている。僅かに7月1日の「市長メッセージ」の中で、「特例債の活用が可能なものについてその期間内に実施する」と述べ、新悠久苑、新最終処分場などと一緒に「市役所新庁舎」を挙げている。「新庁舎建設」以外は、市長の選挙公約でもあり緊急性も高いが、「新庁舎建設」は26項目もある選挙公約のどこにもない。要するに、この事業は合併特例債制度があるから実施するわけで、緊急性も必要性も低い事業である。極言すれば、そこに利益を見出す市長や一部市民だけが「緊急性と必要性」を感じる「無駄事業」なのである。

さて、市長は今年も、「市民協働まちづくり懇談会」開催し、10地区全てで完了した。8回目までの議事録が市のHPに掲載されている。その中に、市役所新庁舎に関する話題は一切ない。「市民の皆さんと一緒に策定する『市民協働』を基本している」と言う首藤市長は本来、参加者の意見を聞くべきだろう。一方で参加市民からの質問もない。首藤市長が6年間続けてきた「市民協働まちづくり懇談会」の本質が窺える。「市民の『生の声』を聴く場ではなく、『市民協働』を内外にPRし、あわせて、自分自身の利益、即ち選挙を見据えた集会ではないか」との見方が正しい事の証左だろう。

「市役所新庁舎」を利害共通の一部市民と謀り決定した狡猾な首藤市長は、事業の「必要性の議論」を封じ込めるために、直ちに九保大副学長を委員長とする「新庁舎建設検討市民懇談会」を設置、今年3月には、「耐震性に優れ、防災拠点としての機能が重要」との報告書を提出させた。8月末には設計企業を決め、今後、「市民ワークショツプ」を開くなど、事業の「既成事実化」を急ぐ。「市民懇談会」や「市民ワークショツプ」は市民の幸福のためではない。首藤市長の幸福のためである。そのための手段として「懇談会」や「ワークショップ」に「市民」たちが集められるのである。

首藤市長が地上8階建て(実質9階)の巨大な市役所を建設する理由は何か。家業「スドー」への備品発注増への期待の他に、市長特有の「自己顕示欲」や「功名心」、即ち巨大建造物を造った「偉大な市長・首藤正治」の名を後世に残す事があるだろう。しかし「バベルの塔」にも譬えられる、市民生活を犠牲にして建造した高層・巨大建造物の建立は、市民を分裂し町に厄災を及ぼす
 

「倫理法人会」の教えを市政に取り入れる延岡市長

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2011年12月18日(日)17時41分11秒
  1.「倫理法人会」との関係が強い首藤正治市長
「延岡市倫理法人会」いう組織がある。顧問として延岡市長・首藤正治の名前がある。市長室には倫理法人会がよく訪問するし、市長自身「朝会」(H21.11.26)に参加し講話をする。「倫理法人会」は一般的には「倫理」と呼ばれる。宗教法人ではないが、「苦難は幸福の門」(苦難に直面したとき、逃げずに、自分を改めれば、苦難は解決する)との教えを基底とし、多くの中小企業経営者が会員となっている。教えを経営に取り入れ、「朝会」などで社員を教育して「社員力」を高める。

首藤市長は、家業の文具店経営で「社員力」を生かした経営で業績を上げた話をする。これが、市長が進める「『市民力』を生かしたまちづくり」の原型だろう。しかし、利益追求の会社組織と、多種多様な人々からなる市民社会は、根本的に違う。小規模な成功体験を市政運営に引きずってはならない。ちなみに、宗教の教えは観念的・理論的に体系化されており、高学歴者ほどのめりこみやすい。オーム真理教に心酔し、中心的な地位を占めたのは京大などの高学歴者だった。

2.延岡市の「市長と市民」の関係は「教主と信徒」の関係
首藤市長にとって、不満や批判を口にせず、「苦難福門」の「倫理」の教えに従う優等生・市民(信徒)が、増える事は極めて都合がよい。市長は、この教義に沿って市民に「市民力」を高め、頑張るように訓示し、「市長コラム」(H21.7.10)では、「ニーチェは、『事実などない。あるのは解釈のみだ』と言っている。事象も捉え方次第だ。嫌な時に『ありがとう』と言えば運がよくなる」と書いている。「倫理」の教えを市政運営の中で市民に布教しようとしているのではないか。延岡市では、教主は市長首藤正治であり、市民は教えに従う信徒のような関係が存在する。つまり、延岡市長と市民の関係は、資本家と労働者の関係であり、かつ「教主と信徒」の関係でもある。信徒の最前列には議会・議員や「市民協働」の市民団体が並ぶ。

3.教主の仕事は説教や著述、課題や難題の解決には価値を置かない
教主の仕事は信徒に対して口や言葉で教えを垂れることである。観念・頭脳の世界に価値を置き、文献を読み、教義内容を改新し、世間に「広報」する。作文や話術も重要である。一方で、現実世界の具体的な課題や難題に対して統率力を発揮して解決する事は、自分の役割と考えていないし、そこには価値を置かない。信徒たちが解決すべきことである。首藤市長も「市民力」アップを求め、ボランティア活動に励むよう市民に熱心に教えを垂れるが、具体的な難題解決に全力を尽くす事はしない。市長は崩壊している地域医療の対策として「地域医療を守る条例」を制定する。その中で、行政、医師会、市民の役割を定めるのだが、市民に対しては「コンビニ受診の自粛」「医者への感謝」など具体的に「市民力」の発揮を定めるが、自分たちの「市長力」「行政力」には具体的には触れない。教主や教団幹部は特別なのである。

4.「倫理」的な価値観を市民に広めたい首藤市長
宗教の教義を信奉する人間は異なる価値観や体質の異なる人間を排斥し、似たもの同士で集まる傾向があるという。教義の良し悪しに関係なく、そのこと自体が問題である。首藤市長にもその傾向がある。副市長、教育長は同じタイプで、幹部職員たちも優等生タイプが多いようだ。首藤市長は再選直後に「市民を一つの方向に持っていきたい」と意気込んでいた。市長の立場としては、「倫理」の「苦難福門」の教えを信じ、不平・不満を言わない市民の増加は有難い。さらに、それ以上に有難いのは市長の教えに感銘を受けた彼らが次の選挙では力強い戦力となることである。市長の立場(広報力)を活かした布教活動とも言うべき市民教育。頭の良い首藤市長はその先に「選挙」を見据えている可能性がある。
いずれにせよ、教主(市長)と信徒(市長に従う市民)の似たもの同士の社会は長にとっては楽だが社会は沈滞する。

5.教主・首藤市長は無謬。市民に教えるが市民からは学ばない
「良い教師は生徒から学ぶ、駄目な教師は書物から学ぶ」というフランスの諺がある。 首藤市長は市民に説教するが、市民からは学ばない。コラム(H20.7.7)で「低所得者のためにも力を入れて欲しいと言う人がいた。ショックだった。市民に対する説明不足を痛感した」「今後、説明の仕方を勉強する」と書いている。市民の声に学ぶべきだが、自分の施策や考えに間違いはありえないと言う唯我独尊の自信を持つ。 宗教的な教義や読書から得た知識が自信の根拠となっているようだ。市長コラムや職員へのメッセージでは、ニーチェやビスマルクなどの言葉を後ろ盾に職員や市民に訓示を垂れる。

6.目の前の困っている人は助けない教主・首藤市長。
首藤市長は「目の前で溺れかかっている人を救うのが政治ではない。溺れる人を作らないのが政治だ」と言う。教主的な発想である。危険を冒して溺れる人を助けるよりも、溺れない人を作るとして、その場を逃れ「対策会議の立ち上げ」「組織改編」などのパフォーマンス的な動きをする方が楽だし得をする。首藤市長は再選直後「市民の痛み、悲しみ、苦しみを皮膚感覚で感じなければならない」と職員に訓示した。市長は直後に「公聴広報係」を新設し、「移動市長室、こんにちは市長です」という企画を創出し、終日市民と触れ合う「選挙対策的な公務」を実行に移した。訓示はそのための布石だった。

首藤市長には溺れかかっている人の痛み、悲しみ、苦しみに共感する「心」はないようだ。雇用不足、地域医療の崩壊、買い物難民など都市衰退の中で、溺れかかっている弱者市民をよそ目に、「高速道路開通の先にばら色の延岡がある」「新生のべおかプロジェクト(偽者)」などの夢を語り、「末世の救世主」を気取る。次の選挙のためである。立派な言葉と卑なる心。京大出身の優れた頭脳を持つが、「倫理」意識が希薄な教主・首藤正治・延岡市長の実体ではないだろうか。

 

参政員制度とは

 投稿者:  投稿日:2011年12月 7日(水)14時32分25秒
  参政員制度を譬え話で言いますと どこに修学旅行に行くかというのは生徒会で 決める(これが国民投票レベル)船旅かジェット機にするか(これは 並存案レベル)その日に台風がくるという、一週間 日延べにしよう( 臨機の変化に責任のある対応をする

  理想的には臨機の対応まで決めるべきなのでしょうが そこまで適応することは無理があります。
  国民は多忙です。そうした全ての決定に参加する事は 国民のキャパシティ ーに耐えません



そこで専従員として外交や臨機の対応を必要とされるテーマについては、国民から 責任を委ねられていると考えます
今国民は投票即ち 専従員の採用の面接に加われるのみです、そして専従員が 「自由委任」と称して国民から白紙委任状を取り 全てを決めているような感じがします


 自己の意思で自由に参政員になれ、参政員は5程度の重要議案に採決に参加し、その一つ事に公論ののち支持政党を決め投票できます、同じ党を選ばれた票が10万票集まれば議員の一票と同じ扱いがされます。

(政党の代表選挙では党員が参加し似た扱いがなされます)

なお多忙な人は従来通り議員に委任します。

さらに詳細、そして疑問は以下にて

http://www2.osk.3web.ne.jp/~mine2/Q&A!.html
 

首藤延岡市長の市役所運営の考え方は自己中心的

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2011年12月 1日(木)20時55分15秒
  首藤市長が「職員への市長メッセージ」(8月29日)の中で、市役所の「組織風土を高めよう」と職員に呼びかけている。
1.私は20年間、会社経営に携わってきた。その中で、企業業績UPや企業発展のヒントを求めて稲盛和夫氏の「稲盛塾」に参加したり、ビジネス誌を読んだり必死に考えた。たどり着いた答えは組織全体を通底する「組織風土」だった。
2.目指す山頂(業績アップ)に向けていくらでも登山ルート(仕組みや制度)はある。①メンバーの体力や天候(会社規模や景気等)などによって考えうる中でのベストのルートどれかという判断は必要。だが、それは最終的に事の成否を決めるものではない。②大事なのは、この登山ルートを経て必ずや山頂に到達するんだという登山隊員全体の確固たる意志である。それこそが、私がいうところの企業風土なのです。

市長が職員に求めているのは上記②の部分である。①よりも②が重要だとする首藤市長の考えでは、目的が大きく、困難になればなるほどうまく行かないだろう。組織のリーダーは①の方を重視すべきである。
『八甲田山死の彷徨』(新田次郎)を読んでほしい。日露戦争前、青森5連隊の雪中行軍隊が吹雪で道を失い、199名の犠牲者を出してほぼ全滅した事件を描いた小説である。本来の指揮官である神田大尉を差し置いて、上官の大隊長・山田少佐がこのルートを経て必ずや帰還できるんだという確固たる意志の下、「前進!」と命ず。  命令が軍隊全体を通底し前進する。その結果全員が道に迷い死に至る。一方、同時に雪中行軍した弘前31連隊の雪中行軍隊はメンバーの体力や天候などによって考えうる中でのベストのルートどれか、事実に基づく協議と、正しい判断によって、無事に八甲田山を踏破し全員生還した。

首藤市長が職員に要求する「全員がこの登山ルートを経て必ずや山頂に到達するんだという登山隊員全体の確固たる意志」だけでは物事はうまく行かない。うまく行くのは、たまたま天候常態(会社規模や景気等)と登山ルート(仕組みや制度)の組み合わせ選択が、正しい場合だろう。選択を間違った登山ルートでは、全員の確固たる意志の力があっても成功しない。成功の鍵は「ベストの登山ルート」の選定と「最悪の事態を想定した万全の対策」である。

さて、首藤市長のこれまでの言動から見て、職員に求める「組織風土」の実体は、「登山ルート(方針・施策)を決めるのは市長。全ての職員は、それを信じ確固たる意志で追随せよ」と言うことだろう。首藤市長は、このメッセージの最後で「市役所のさらなる風土改革を延岡市全体に広げよう」と述べている。既に、首藤市政でそれは実現している。市長たちは、先ず延岡市の地域医療問題の「解決のルート」は、「地域医療を守る条例」だと定める。職員・医療関係・マスコミ・市民の全てが、それを信じ運動を展開している。しかし、4年を経ても地域医療は崩壊したままである。また、市長たちは延岡市の「発展ルート」として巨額の新市庁舎建設を決める。権力者である市長の「ルート設定」の間違いは全庁・全市に及ぶ。洞察力なき無能なリーダーが組織を駄目にする。

さて、首藤市長は「経営感覚を行政へ」と唱え、文具店「スドー」での経営・経験を市役所の組織運営に適用しようと意気込む。「組織風土」を高めようと職員に訓示する。「スドー」は宮崎県・延岡市・宮崎市などの自治体、旭化成など事業所、宮崎医科大学・九州保健福祉大学・小中高校・各種学校、国土交通省など国の機関に事務機器を社員15名で売り込む販売会社である。利益優先・単一機能・少人数の「スドー」では全体を通底する「組織風土」を作るのは可能だっただろう。価値観が合う単一タイプの優秀な社員だけ集まれば事足りるだろう。
市役所は違う。利益目的の小集団ではない。多種多様な市民社会の要請に連動する巨大な多機能組織である。首藤市長は社員15名の単機能・小会社の成功体験を引きずり、職員1300人の複合機能・集団に準用しようとする。

もう一つ重要な違いがある。首藤正治「社長」は社員の雇用主である。「スドー」も社員も自分の意のままになる存在である。しかし、首藤正治「市長」は「職員」や「市民」の雇用主ではない。逆に、市民のために汗を流す「公僕」として税金で雇用されている立場である。「スドー」社長は価値観の合う有能な採用社員15人だけの幸せを考えればよい。だが、延岡市長は価値観や有能・無能に関係なく市民130,000人すべての幸せを考える義務がある。
首藤市長は「スドー」における社員との関係を、職員や市民の関係にまで引きずっているようだ。集会や文書を通じて、上から目線で職員や市民に自分の考えや価値観を植えつけようと教え垂れるだけの教主のように映る。「スドー」を意のままにしたように、市役所も延岡市も単一の価値観『組織風土』で一色に染めるようと考えているようだ。

首藤市長の「組織風土」は、トップの間違いに全員が従う全体主義にも通じ、全市民を不幸にする危険性を孕む。
しかし、首藤市長にとっては、「ルートの決定は私。異論や議論は存在せず、全ての職員・市民が確固として決められたルートを実行する『組織風土』の確立」は、市政の私物化とも言うべき極めて都合のよい状況を生む。市民のためとして自己都合・自己利益の「ルート決定」をしても、職員と市民は異論を唱えず、黙々と「市民協働」の汗を流す。ところで、首藤市長はどのようにして「組織風土」の悟りを開いたのだろうか。市長が尊敬するケネディ大統領、アップル社のCEOスティーブ・ジョブズ、あるいは市長がよく名前を出す京セラの稲盛和夫会長の影響なのか。いずれも違う。市長はそのことに触れないが、「倫理法人会」の教えから生まれたのではないかと思う。 〔続く〕
 

【宮崎県延岡市】首藤市長の「2015年は延岡の夜明けの時」はウソ、衰退が始まる

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2011年11月21日(月)21時28分31秒
  首藤市長が9月6日に開会した延岡市議会で「新悠久苑、新最終処分場、小中学校の耐震化、延岡駅周辺整備、市役所新庁舎などの「大型プロジェクト」を平成27年度までに完成したいと強調した」(夕刊デイリー)
又、市長は7月1日、市のHPにも「目指すは“2015”」と題する「市長メッセージ」を書き込み、これら工事を2015年(平成27年度)に完成させると述べて、その年を「かつて『北は夕暮れ』と揶揄された延岡の夜明けの時にしよう」と呼びかけている。自ら名づけた「大型プロジェクト」の完成時期を「夜明けの年」とすることで自分の評価を高めたいのだろうが、客観的にみて、逆に2015年は「衰退の始まりの年」となる可能性が強い。

その前に。首藤市長は新悠久苑建設など五つの工事を『大型プロジェクト』と称しているが、正しいのか。本来、「プロジェクト」とは「新製品の開発、新工場の建設など、通常業務以外の特定の計画を実施することを言う。市長が『大型プロジェクト』と称する五つの工事は全て、「通常」の「既存施設の建替え工事」である。延岡駅整備や新市役所建設では、設計担当者の公開プレゼン選定、市民ワークショップなど民主的体裁をとるが、「建替え」という本質は変わらない。因みに、一般的には「プロジェクト」は当事者たちの自主性や情熱から生まれる。

延岡市長の言う『大型プロジェクト』は市長たちの自主性や情熱から生まれたものではない。その一つ「小中学校の耐震化」は、平成27年度を期限とする国の指示で行う「受身」の通常業務である。関連して、延岡市の「小中学校の耐震化率」はダントツの低さであり、多くの自治体が耐震化率100%、平均82%の中、延岡市だけが半分以下の48%である。市長たちに「学校の耐震化」に対する自主性も情熱もないのは明らかである。通常業務の怠慢を隠し、「大型プロジェクト」と称する。いつもながらの狡猾・巧妙・詐欺師まがいの首藤正治市長の発想である。

この他の新悠久苑、新最終処分場、市役所新庁舎は勿論のこと、延岡駅整備も「賑わい創出」という課題を掲げているが、「プロジェクト」の要件は満たしていない。全て老朽化などの「外的要因」によって行うもので、市長の自主性や情熱から生まれたものではない。見方を変えれば、これらの建替え工事は、「市長がいなくても」副市長や担当部局によって司司で遂行されていく性格のものである。プロジェクトの完成時期を平成27年度としたのは合併特例債、および小中学校耐震化の締め切り期限だからである。延岡市には巨額の建替え工事はあるが「大型プロジェクト」は存在しない。
首藤市長は偽装「新生のべおかプロジェクト」に続いて、再び、「プロジェクト」という「言葉」を用い市民を騙そうとする。
http://www.janjanblog.com/archives/26452

ここで、平成19年1月26日の初夢と題する「市長コラム」を読み返して見よう。市長が「夜明けの年」と位置づける平成27年度の1年前の平成26年の延岡市を初夢の形で予測している。

「旧延岡市を中心とした東九州市は平成26年現在、『人口23万人の特例市』として「交通の要衝」となっている。「東九州自動車道もほぼ全線が開通した。東九州自動車道・開通前と比べ全体で、年間約3兆8千億円増の生産誘発効果があったらしい。雇用も15万人増加した」。そんな新聞記事を声に出して読んでいると、「だから早く高速道路を造ろうって、あんなに言ってたのにねえ」と家内が台所から笑う。「済んだことはしようがない。あとは横断道を早くすることだな。」と、私。夢は実現させるもの。さあ、みんなでがんばりましょう」。

市長が平成26年には実現するだろうと夢見た「延岡市・23万都市」や「延岡市・交通の要衝」は実現しそうにない。逆に首藤市政の6年間、「延岡市・23万都市」どころか、人口は減り続け、有効求人率、地域医療は悪化したままで、「北は夕暮れ」と揶揄された頃より状況は悪化している。また、市長は「延岡市・交通の要衝」を夢見るが、市民は「通過都市」を危惧する。市長は「みんなでがんばりましょう」と言うだけで自ら夢の実現に向けた努力はしない。

そして今、首藤市長は、「平成27年度に延岡は夜明けを迎える」と、再び市民に夢を語る。だが、豪華な新市庁舎など全ての建替え工事が完了しても「夜明けへの寄与」は小さい。又、副市長や「市民力」任せの企業誘致、地域医療などが改善される保証もない。一方、本格的な高速道路開通で「ストロー現象」は確実に起こる。首藤市長は「メリツトを最大に、デメリットを最小に」と言うだけで危機感がない。延岡が都市間競争・商圏争いに敗れ、草刈場となる可能性は強い。また、平成27年度には合併特例債などの優遇措置が終わり、公共事業関連の仕事が減る。

「雇用の減少」と「ストロー現象」のダブルパンチに見舞われる平成27年度。首藤市長は、こうした厳しい実情は百も承知だろう。しかし、自己評価UPという功名心に駆られ、不都合な情報には触れず、10階建ての豪華な新市庁舎が完成する平成27年度を「延岡の夜明けの時だ」と市民にウソをつく。ちなみに、分不相応な立派な本社ビルを建てた企業の多くが衰退の道をたどるという事実もある。首藤市長には市民を騙さない正直な心が、そして最悪の事態を想定し陣頭指揮する市長力が求められる。今のままでは、延岡には来るべき夜明けも来ないだろう。
 

孫文

 投稿者:みね  投稿日:2011年11月 4日(金)18時39分28秒
  格差デモ
>超過激なグループも出てくるだろう。さらに段階が上がって暴力も毎日のこととなる。

米国も日本も法治社会です。違法な活動は取り締まられます。事態によっては軍さえ出動するでしょう。残念乍ら活動は頓挫するでしょう。
「問題解決は政治システムを変えるべきだ」・・・というところに落ち着くはずです。

即ち今の政治システムは「一括して議員に委任する、しかも議員の公約には責任がない」というズサンな選挙システムの上に成り立つものです。
30年連れ添った夫婦でさえ「相手が何を考えているかが分からない」そして退職離婚するケースはままあります。それが選挙で歯の浮くようなデマ公約を並べる立候補者・・の中からいい人を選ぶなど出きなくて当然です。かつてドイツのコール首相は謹厳実直、理想的な政治家と言われていましたが、裏で兵器商人・・・・
重要な政治テーマは国民の常識が参加して決めるべきなのではないでしょうか
勝利街道のみを驀進してこられた人々、しかも選挙で数万人に名を書かせたというプライドは一般人の理解できない価値観を形成することが多いでしょう。
しかも献金組織と官僚には遠慮せざるを得ない・・・法は偏らざるを得ません
重要な政治テーマは国民投票か参政員制度で決め、多くの雑多な法案は国民のキャパシティーに耐えませんから、仕事として議員が取り組む・・・国民主権とはこうした姿であるべきではないでしょうか

今は官僚主権、議員主権と言わざるをえません。畢竟国民は虐げられます。
孫文の複決権をご覧下さい
http://www2.osk.3web.ne.jp/~mine2/sonbun.html

 

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